お散歩もりの

表彰台に立ってみたいという夢を追いかけて、オートバイ初心者があれこれするドキュメンタリーブログです。その他、観光情報や日常雑記も発信しています。

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自身の障害について

時系列

 

 

【中学校から今まで】

僕は中学から不登校になり、社会とは切り離された生活を送ってきました。その場に相応しくないものが「聞こえる」という現象は、自分だけではなく誰にでも起こっていると思い込んでいました。そして、僕はいつも誰かに悪口を言われていました。それは部屋の外から聞こえてくるし、部屋の中からも聞こえました。耳を塞いでも頭の中に響いてくるのです。目を閉じると石を投げられることがあるので、なるべく目は閉じないようにしていました。カーテンを閉めても他人の視線を感じていました。自室でも落ち着くことができず、時間が過ぎるのをただじっと待っていました。

 

誰かと会話していると、自分が何を話しているのかわからなくなりました。自分の話した内容で相手が怒ったり傷ついたりしないか、会話が終わった後にいつも不安に思っています。複数の人の前に立つと声が一オクターブ高くなり、極度の緊張で喉が締まりまともに喋ることができません。誰かに見られることや意識されることがとても恐ろしく思いました。中学校に入学する前くらいから精神病院を受診するまでの期間、記憶が所々しかありません。それまでの人生をノート一枚で書ける程度しか思い出せません。通院するようになってからの出来事は薬のおかげで大体は覚えています。ただ、今でも時々ぽっかりと抜け落ちてたりと症状はあります。故にメモ書きを多用しています。そんな生活が続いたある日、福祉団体の勧めで精神病院を受診することになりました。

 

 

【病院受診からの意識】

とある丘の上にある精神病院を受診しました。僕は病気ではないと思っていたので一刻も早く帰りたかったのですが、先生とお話していると気分が落ち着いて、なんだか許されたような気持ちになりました。それからは1ヶ月に1回は病院に行き、先生とお話をして薬をもらって帰りました。薬の量と種類は次第に増えていきました。この頃から自分という人間の輪郭がはっきりとしてきたのを覚えています。自身の意識がはっきりとしているのです。それまではふわふわしていて、まるで他人の人生を生きているようでした。

 

 

【社会へ向けての支援】

そこからの人生は紛れもなく僕の人生でした。地に足がついているという感覚が嬉しくもあり不安でもありました。何故ならこの広い社会で一人、生きていくことがわからないのです。どうすれば良いのかは市の福祉団体やケースワーカーが丁寧に教えてくれました。その後、通院を続けながら障害者が通う就労支援施設に入所しました。そこで労働のことわりを学び、社会のマナーを学び、自身の障害と向き合いながら充実した日々を送ることができました。施設では様々な障害を持つ方(身体障害者、知的障害者、精神障害者等)と接しました。この職業訓練経験が後の一般就労へと繋がりました。

 

 

【一般就労と社会生活】

現在、ハローワークを通して一般就労に至った次第です。僕の病気は完治はしないと言われました。生涯、服薬と通院が続きますがそれを不幸に思ったことはありません。このような素晴らしい生活を送れるようにしてくれた先生には感謝しかないのです。又、ここまで支援してくれた全ての団体、及び益田市には何らかしらの形で恩返しができればと思っています。加えて、障害を持つ全ての方を今後も応援していきたい想いです。

 

大前提として、僕の障害は夢を追うことのハンディキャップにはなりません。薬を忘れずに服用することで一般の方と同じように生活することができます。しかし、失った時間はかえってこないので、抜け落ちたページを悔やむのではなく、これからの人生を大切に生きていこうと思います。今現在、年齢の感覚的には高校生くらいの歳を生きています。以上が「自身の障害について」の全容になります。最後まで読んでくれてありがとうございました。僕という人間を知ってくれてありがとう。